家族を守りたいだけだった|原点と心の記録

――障害のある息子と、選び続ける暮らしの話――

私たちには障害のある息子がいます。

この話を書くかどうか、正直かなり悩みました。

現実でも多くの人に話せていません。

会社でも業務上で必要最低限な関係者にしか伝えていません。

別に隠しているわけではないけれど、一体どのタイミングで言えばいいのかもわかりません。

それくらい簡単に言葉にできる話ではないからです。

でも、私たちにとっては避けて通れない事実です。

このブログを立ち上げてから、働き方や暮らし、お金のこと、迷いについて書いてきました。

そのすべての選択の根っこには、ひとつの理由があります。

今日は、その話を残しておこうと思います。

この記事は、これから息子の選択や、私たち家族の歩みを書いていくために、過去と現在をつなぐための、ひとつの原点です。

「少し遅れているだけ」だと思っていた頃

息子が小さい頃、

「ちょっと成長がゆっくりなのかな」
「なんだか目が合いづらいな」

そう思っていました。

周りと比べなければ、そこまで大きな違和感はなかったように思います。

心のどこかでは、

「たまたまだろう」
「大きくなれば変わるだろう」

そう思い、事実から目を逸らしていました。

この時はまだ、違和感くらいの感覚でした。

転機は1歳半検診の時です。

検診のスタッフさんからいろいろな指示がありましたが、何もできない息子。

もちろん言葉もしゃべれない。
積み木も詰めない。

ただこの時は少しだけ、言葉としてはまだ不確かでも、オウム返しのように言葉を使ったり、

「なになに?」

と言って指さしたり、

「あーお」
「あーか」

と色を言葉にしていました。

「なんだ、ほらね」

私たち夫婦は、心の中で迫ってくる現実から目を背け、事実を受け入れることを拒否していました。

相談員さんは、

「少し成長が遅れているかもしれませんね。」
「でも、心配しなくても大丈夫!」
「早期支援が、その後の成長に影響します。」

療育を知ったのは、その時でした。

療育で感じた心の安心

「これで安心だ」

療育を始めたとき、そんなことを考えてました。

だって私たちの息子は、

少しだけどおしゃべりもできるし、
こんなに可愛い笑顔で笑ってくれる。

「なんの心配もない」
「すべてがよくなる」

そんな風に思っていました。

事実、息子はすくすく育ち、とても元気な子になっていきました。

成長するほど、違いがはっきりしてきた

私たちの心が限界を迎えるのはそう長くありませんでした。

食べこぼしも、
トイレができないことも、
大声で叫ぶことも、
脱走も、
癇癪も、

小さい頃ならみんな何も思いません。

もしかすると、私たちの被害妄想かもしれません。

でもふとしたとき、

買い物や、
公園や、

他の子との違いに気づきます。

もちろん、成長もしていました。

立てるようになった。
走れるようになった。
登れるようになった。

でも、

言葉は話せない
思いは伝わらない。

少しずつ、でも確実に、心と体の成長のズレは、息子を不安定にしていきました。

そして同時に、私たちの心と体も疲れていました。

まだ大丈夫、きっと変わる。期待と入園

「きっと経験が足りないんだ」

今まで保育園など行ってなかったし、同年代との関わりが少ないだけ。

そう思っていました。

それから少しして、息子が地域の幼稚園に入園することになります。

入園式の日、当然のように癇癪を起こす息子を引きずりながら地域の幼稚園へ。

そこで目にしたのは、

親に甘える子ども。
泣きながら逃げ出す子ども。

「なんだみんなそうなんだ」

私は心のどこかですごく安心しました。

幼稚園の送り迎えは、それはそれは毎日大変でした。

はじめての運動会。

「少し成長し、頑張れる子どもたち」
「運動場で、寝転び泣きわめく息子」

その時はこう思いました。

「だんだん慣れてくる。」
「少し遅れているだけ。」

本当はもうわかっていました。

しかし、頭でどれだけ理解しても心が拒否するのです。

逃げずに受け止めることができるようになるのはもう少しあとの話です。

1年を過ごし、年長へ

本当によくがんばりました。

私たちではありません。

息子です。1年間通ったのです。

楽しい日もあったでしょう。
辛い日もあったでしょう。
いやなこともあったでしょう。

うまくコミュニケーションをとることができない息子が、1年間も同年代の子たちと生活を共にしたのです。

しかし、できるようになったことばかりではありません。

それから少しずつ息子の障害を受け入れることになります。

長い時間がかかりました。

1年たっても相変わらずひどい癇癪を起こす、運動会や発表会。

むしろ成長とともに激しくなっているのでは?

心と体が追いついていない息子は、うまく感情を伝えられません。

決められたことをしなければならない場面では、たびたび癇癪を起こしてしまいます。

当然、行事など耐えられるわけがありません。

しかし同時に、

「これは、誰のための時間なんだろう」

楽しんでいるのは、子どもなのか。

それとも、親なのか。

当然のように子どもの成長を喜ぶ周りの親たち。
その中で、苦しむ我が子を見ながら考える私たち。

今思えば、無理に参加させなくてもよかった行事もあったと思います。

大切なイベントだったからこそ、
その違和感は、心に深く残りました。

私たちの価値観は周りの「普通」とは変わりはじめます。

そんな日常の小さな気づきを何度も重ねて、私たちの「普通」が芽生えはじめました。

「無理だ」と悟った小学校選び

それでもまだ、周りと一緒の「普通」を目指します。

小学校選びも、簡単ではありませんでした。

近所の公立小学校の支援学級を見学しました。

「普通級は無理でも、支援学級なら。」
「支援学級なら息子が成長した時、そのまま普通級になれるかも。」
「そもそも遠くの支援学校なんて何かあったらどうすればいいのか。」

私たちは藁にもすがる思いで、支援学級の見学をしました。

しかし、現実はあまくありません。

そこでも息子は、落ち着くことができず癇癪を起こしてしまいました。

まだ自分たちの「普通」を受け入れず、息子を苦しめる私たち。

たまらず教室から出ました。

その様子を見て、

「ああ、やっぱり無理なんだな」

そう思いました。

努力すればどうにかなる、という話ではありません。

親の気合や我慢でどうにかできる話でもありません。

息子にとって一番大事な「選択」とは何なのか。

そう、はっきり分かりました。

ここなら大丈夫と思えた場所

支援学校を見学して、大きな不安が一気にほどけました。

正直、最初は不安でした。

どんな場所なのか、想像もできませんでした。

でも、実際に足を運んでみて一番驚いたのは支援の手厚さでした。

少人数で編成したクラス分け
それぞれに配慮された食事
バリアフリーを意識した校内の構造

子どもがのびのびと学べる環境がそこにはありました。

驚くことはまだまだたくさんあります。

そこで働く職員の人数です。

子どもよりも、大人の方が多いのではないかと思うほど。

通学バスなどの仕組みも整っているので通学の課題も難なくクリア。

近所のバス停はすべて網羅しており、仮に引っ越しが必要な場合もバス停さえ押さえれば通学は安心。

今までの不安はなんだったのか。

やはりきちんと比較することが大事だと改めて痛感しました。

そして、最大の驚きは「見学者の多さ」でした。

私たちはずっと孤独でした。
周りと違う息子と、どう向き合えばいいのか分からなかったからです。

ずっと、障害というテーマは、
とても孤独な世界だと思っていました。

でも、

同じように悩み、
同じように迷っている親が、

こんなにもたくさんいる。

それを知った瞬間、胸の奥で何かが、少しほどけた気がしました。

私たちが息子の進学先として特別支援学校を選択するのに、時間はかかりませんでした。

暮らし方について

仕事と、自由と、家族の形

私は今、仕事を制限しています。

正直に言えば、息子を施設に入れることも考えたことがあります。

そうしなければ生活が成り立たないと思ったからです。
私たちには子どもが3人います。
守らなければならない家族は、障害のある息子ひとりではありません。

「そのために、息子と離れる選択が必要なのか?」

それはそれは深く悩みました。

誤解してほしくないのは、施設入所という選択肢が悪いとは思っていません。

その選択をした親御さんを、否定する気持ちもありません。

なぜならば、私も同じ迷いを抱えた一人だからです。

しかし私たちにとってその選択は、頭では理解しても心がどうしても納得できませんでした。

私が思い描く家族の形は、みんなが一緒にいることだったからです。

そんな中である問いが浮かびました。

そもそも、私はなぜ働くのでしょうか?

「家族のためです。」

ふとした瞬間、

「仕事なんてなければ、この子を守れるのに」

そう思ってしまうことがあります。

私が仕事をしているのは、好きだからでも趣味の延長でもありません。

安定していると思った道を選び、

結婚し、
子どもを授かり、

今に至ります。

この子が普通だったら、なんて。
考えなかった日はありません。

それでも障害のある息子が、ほんの一瞬でも幸せそうにしている姿を見ると心が本当に救われるのです。

無邪気な笑顔は、確かに愛おしい。

でも、正直に言えば疲れるときもあります。

それでも、

「もっとこの子のためにできることはないのか」

その問いだけは、ずっと消えません。

だから私は、働き方や暮らし方を考え続けています。

おわりに|これは、途中経過の記録

息子の存在は、私から「当たり前の安心」を奪いました。

同時に、

深く考える視点、
痛みを想像する力、

そして、「選択肢」を与えてくれました。

私にとって家族は、このブログを始めた大事なきっかけです。

今は読者も全然いません。

まだ、答えは出ていません。

この先、どんな選択をするのかも、分かりません。

ただ、ひとつ確かなことがあります。

私は、この家族の形を守りたい。

そのためには、

仕事も、
暮らしも、

選び続けなければならない。

このブログは、その途中経過の記録です。

これからも、

迷い、
悩み、
悲しみ、
喜び、

そして決断していくでしょう。

私は、同じように悩んでいる人の力になりたいです。

今度、特別支援学校の説明会に行きます。

どんな場所か。
どんなことを学べるのか。
息子がどう変わるのか。

これからは、そんな記事も書きます。

私の発信で少しでも皆さまの力になれれば嬉しいです。

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